福岡市西区で子供の歯ならび・矯正の大原歯科・矯正歯科医院は福岡銀行野方店、ダイソー壱岐団地店の近く
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院長プロフィール

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院長の大原 茂です。
前向きな患者さんのために、日々技術を研鑽し、臨床に励んでます。

がんばる子ども達・患者さん達をついつい応援したくなる性格です。

職人気質とアイデアマンが合体したような面もあります。
昭和42年に福岡県中間市に生まれました。

中学校の頃は陸上部に入りました。

福岡県立東筑高校卒業、福岡県立九州歯科大学卒業、 同大学歯科理工学講座入局(チタン酸化膜の研究、平成8年博士課程修了)。
北九州の歯科医院に勤務後、長崎県の離島にて2年6ヶ月間歯科医療に力を入れてきました。
平成13年11月、大原歯科・矯正歯科医院を開業 して現在に至ります。

男の子二人の父親です。

長男は現在、大原歯科・矯正歯科にて矯正治療をがんばっています。

また、私が臨床家として ここまで歩んで来れたのも、何人かの優れた先人達のご指導と、これまで根気強く付いて来て下さった多くの患者さん達、真面目に手伝ってくださっているスタッフさん達、そして応援してくれている家族のおかけです。

この場をかりて、深く感謝いたします。

【所属する研究会】

●筒井塾咬合療法研究会会員
●筒井塾矯正研究会会員
JIADS会員
国際歯周内科学研究会会員
●床矯正研究会会員(ただし、床矯正研究会会員は平成23年12月まで)

当院の矯正治療>>

当院の歯周治療>>

【各修了証】

筒井塾咬合療法コース JIADSペリオコース
筒井塾咬合療法コース JIADSペリオコース
JIADS再生療法コース JIADSエムドゲインコース
JIADS再生療法コース JIADSエムドゲインコース

上記以外にも、筒井塾形成・印象コース、筒井塾歯周外科コース 他多数 参加しています。

患者さんと呼んでいます。

大原歯科では一貫して、皆さんのことを「患者さん」と呼んでいます。

「患者様」とは呼んでいません。

この表現が流行りだした当初から、気持ち悪くて仕方がありませんでした。

治療に喜んでもらえて、コミュニケーションがとれて、それでお互いに満足するのが一番です。

その中で、「患者様」という表現は不必要に思えます。そんな表現にはエネルギーを注ぎたくありません。

患者さんがお困りのことは何であるのか?それを解決するにはどうすればよいのか?患者さんのQ.O.L.

を向上させるためにはどうすればよいのか?何を勉強して深めていけばいいのか?そのことに全エネルギーを注ぎたいです。とても「患者様」と言っている暇はありません。

このことはかなり以前にも記事にしたのですが、編集で途中からこの記事を削除しました。

しかし、他の歯科のホームページでも、「患者様」という表現に異議を唱える記事を発見したので、このことについて再度 掲載しました。

見てね! 院長の子育てお勧めサイト

ドロシー・ロー・ノルト博士の 「子どもが育つ魔法の言葉」をネットで検索して是非ご覧ください。

ホームページアドレスは 下記をクリック  ↓
http://www.php.co.jp/bookstore/dr.html

尾木ママ、蔭山先生、ヨコミネ式の本も読みましたよ。

子育てについては、毎日 私も七転び八起きしています。

七転八倒かも・・・・・?

パタパタパタ・・・・。バイクばっかり乗っていた大学時代

大学時代はバイクに乗っていました(中型免許でしたが)。

いろんなところにバイクで行きましたね。

九州は全体的に、遠くは北海道まで。

指宿では野生の馬に蹴られそうになりましたが、バイクでヒラリとかわしました(笑)。

北海道に行く途中、舞鶴近くからフェリーで小樽まで行ったのですが、舞鶴近くまで行く間に雨に打たれたため、フェリーの中で肺炎みたいになっていました。

しかし、若さのおかけで?フェリーの中でうなされていたら、小樽に着く頃には何とか、治りかけていました。

「バイク乗りは冷たい雨で鍛えられる。」とその時に思いましたね(笑)。

北海道で食べた塩バターラーメンの味、途中 農家の方に分けていただいた

バター味のジャガイモを蒸したものは格別の味でした。

あたり一面のヒマワリもきれいだったなー。

いろんな思い出があります。

メーン!! 高校の頃の思い出(剣道)

高校の選択科目で柔道か剣道かを選ぶ時に、私は剣道を選びました。

正式なクラブ活動ではなく正課の剣道部です。  剣道の絵2.jpg

私は背があまり高い方ではないので、 背の高い剣道部の生徒に

「メーン~~!」と頭に竹刀で思いっきり叩かれることが多く、とても悔しい日々が続きました。

3年生の時に、剣道の授業で団体試合をいよいよすることになりました。

私を含むチームは、・・・・強いメンバーとはお世辞にも 言えないものでした。

一方、対戦チームには、正式な剣道部員がいて、相手チームが有利なのは 誰の目にも明らかでした。

出鼻から、こちらのメンバーは連敗続きで、チームに暗いムードがたちこめています。

いよいよ私の出番です。

なんと相手は剣道部員!

よし!一か八かやってみよう! そう覚悟を決め、いざ試合開始。

相手は私よりも背が高い。

必ず面を狙ってくると考えて、途中からわざと疲れたフリをして、竹刀を少しだけ下げました。

私は剣道部員の鋭いスピードにはかなわないので、相手が少しでも動いたら、胴を打つ動作で突っ込もうと決めていました。

ビンゴ!!

予想どおり相手は私の頭をめがけて上段から突っ込んできました。

私の遅い竹刀の動きでも、相手の胴にジャストミート。

スッパーン!!  鮮やかに決まりました。

「いっぽん!」 先生の声が響きました。

チームメイトからは 「うおおお!」 と燃える声が湧き上がります。

その後、剣道部員も慎重に対処し、2本手堅く決められて負けましたが、私の後のメンバーは、「燃える闘魂」状態になりました。

青春の1ページでした(自慢話になってしまいましたね、すみません) 。

 

ファイオー、ファイオー。中学校陸上部の頃の思い出

ハードル2.jpg朝も放課後も、日によっては帰宅後の夜も走っていました。足の速さは、速くはありませんでしたが、走るのが大好きでした!あるアイデアを使って地区大会予選でトップになったことがあります。

いまでも嬉しい思い出の一つです。 そのアイデアとは

ハードル競技の場合、ハードルとハードルの間を3歩~5歩の奇数歩で走ります。私にはハードル間を3歩で走るのには無理があり、かといって5歩ではもどかしい状態でした。

そこで、ハードル間を4歩で走ることにしました。 ハードル間を常識どおりに3歩か5歩にすれば、ハードルを飛び越える時に高く上げる足は、いつも左右どちらかになります。

通常は、左足です。ところが、ハードル間を4歩にすると、最初のハードルを左足で越えたなら、次のハードルは右足で越え、交互に飛び越える足を変えることになります。

大会前には、その点を重点的に練習しました

いざ退会予選のレースの日、走者が一線に並んで静まりかえり、スタートのピストルが鳴り、いっせいに走り出しました。有力選手と違い、私は全く無名のノーマークでした。中盤以降、有力選手が「見慣れないやつが横をはしっているな~」と、チラッと私の方を振り向いているのがわかりました。

有力選手は、「予選は力を抜いて決勝に上がれればよい」といった感じのペースでしたが、予定イメージと違えば動揺し、ムキにもなってきます。トップグループから「あれっ?」という雰囲気が伝わってきます。私はチャンスを逃さず、そのままトップでゴール! 「やったー!」

気分は最高です。さすがに決勝では同じようにはなりませんでしたが、悔いはありませんでした。

このようにオリジナリティを生み出すのは、昔から得意です。

「トトロ」のような雰囲気があった子どもの頃の話

私の子どもの頃は、、、

元炭鉱町の中間市に生まれました。

まだ石炭や薪でお風呂を沸かしていた懐かしい時代ですね。
マッチで石炭や薪に火をつけお風呂を沸かす作業は、小学生の兄と幼稚園児の私が毎日していた手伝いでした。
薪をオノで割ってもいましたよ!

幼稚園の年長さんの時に、大人が見ていなくとも、オノと釘とトンカチを持ち、薪を使って飛行機のやいろいろなものを作っていたことを覚えています。楽しかったです。

幼稚園児に大きなオノを持たせて平気だった我が家やその地域の特徴が何となく伝わりますね。
小学校の時も針金を曲げて身近なもので、いろいろな物を作っていました。
夏休みの工作などワクワクものでした。まるで「水を得た魚」ですね。

プラモデルなど決まった方法で、すでに設計されているものを手順どおりに作るのはあまり好きではなく、簡単な素材から、自分でイメージ・想像したものを作ることが大好きでした。

一方、外遊びも大好きで、遠賀川の河川敷が遊び場でした。

10歳の頃は自転車に乗って、友達と10kmくらい遠くまで行ったこともあります。

その頃、トムソーヤ的な友人がいて、その子からたくさん教えてもらいましたね。

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